お茶のひととき 21

風よりも静かに過ぎてゆくものを指さすやうに歳月といふ


                          稲葉京子


                       『柊の門』

「歳月」というものを、風よりも静かに過ぎてゆく、と捉え、指さす、つまり点呼のように数えてゆくから「歳月」なのである、という歌。歳月、つまり人生の時計が風ほどの感触もなくしずかに過ぎていってしまう、それを指差して、せめて記憶にとどめようとするひとのさみしさ。この歌からはそういったひとの営為のはかなさといったものが感じとれる。

稲葉氏の歌には、かなしい静けさが通底している。おなじく、『柊の門』より、


あすわれにやさしき手紙運び来よしろがねの月下の郵便局よ


かなしく、うつくしく、やさしい。稲葉氏の歌はそういうものに満ちている。


名を成した歌人は大体そうだが、稲葉京子氏も、第六回角川短歌賞、第六回現代短歌女流賞、第二十六回短歌研究賞、と輝かしい入賞歴を残しておられる。

ところで、私は短歌の賞といったものにまったくご縁がない。もちろん実力がないからであろうことは明らかなのだが。短歌人新人賞(のちの高瀬賞)、短歌研究賞、歌壇賞、角川短歌賞など、かなりトライしたがみんなダメであった。

そのうち、現代歌壇では口語短歌が主流になり、言い訳にしかすぎないのだが、歌壇主流の短歌を作ることに時間を割くより、自分の詠いたい歌をじっくり推敲して作る方がいい、と思うようになり、根気のないこともあり、賞と言う物には一切応募しなくなった。しかし、いくら口語短歌主流となろうとも、文語派は歌壇には根強くおられるし、ぐうの音も言わさないほどの実力があれば、おのずと賞は付いてくるのであろう。いつになるか分からないが、第二歌集を上梓できたあかつきには、また賞というものに挑戦してみるのもいいな、と思う。歌壇の浦島太郎となってしまっているかもしれないが。(綾乃)