風招ぎ50首選


 

冷えびえと光るシリウス 汝の胸に抱かれはるけき夜を渉らむ

 

掘削機たちすくみたり地の底に土偶あやしく哄笑すれば

 

ぬばたまの夜の厨に灯すべく踏み入ればぐいと春寒およぶ

 

しろがねの炎なし駆くるストレッチャーわが柩とてうたた顕る

 

たまきはるいのちなるべしざつくりと屹つゆまりのあとぞさぶしゑ

 

さよならを言はばさばさば越ゆる世の果てに親しき天界の水

 

をんなの血燃ゆる臓器を疎みつつ厨に立ちてムール貝煮る

 

紫陽花が腐れつつあり熱籠(ごも)る布団に寝ねてかなしかりけり

 

芯熱が身を統ぶるときまなうらに極彩色のがらくた溢る

 

発熱といふは哀しもしかすがに黄金さしたる曼荼羅展(ひら)く

 

それぞれがひかりを放つさくらばな迷ひのひとつもなく散りてゆく

 

じつくりと腑に落とし込む雨の日の生クリームの淫らな白さ

 

月経の血の止まざればびしよ濡れの船の汽笛が遠(をち)よりおらぶ

 

魚あまたあぎとふ夏ぞ音なくて緑なすホテイアオイの地獄

 

ものみなが眠る炎天あげ髪の婀(あだ)なるをみな打ち水をせり

 

容赦なく照りつくる陽に危ふくも蟻地獄の穴深くしづもる

 

引き揚げの船か汽笛がたましひを揺さぶりやまぬ 父 聞こゆるか

 

ひと夜ひと夜迫れる終はりの木葉闇ちからづくでも連れて行かせぬ

 

胸板が動かずなれることぞ是すなはち死ぬる事と腑に落つ

 

青りんご手からこぼれて幼(をさな)なる父は泣きしよふる里の杜に

 

アセチレンガスの灯うるむをみな児のわれは薄荷パイプをねだりし

 

颱風(タイフーン)のまなかにあれど倒れざる樹のやうであれ汝も我も

 

身ひとつで発ちたきものを鳥やねこ花は黙して風に吹かるる

 

風を招(を)ぐ民たちのこゑ大陸はつねに揺るがずわが裡にあり

 

二胡が哭く 風と風とが出会ふ場所に在るべしこころの裡なる大陸(チャイナ)

 

サイレンススズカ安楽死の夜辺にひとつぶのあめ驟雨となりぬ

 

荒岩に砕ける波はさかしまにわが真芯(まッしん)を揺さぶりやまず

 

油蝉うなりはじめの一声(いちじやう)にくつきりと夏は訪れたまふ

 

ゆるやかな雨に打たれて目をつむる千年むかしのおまへに逢ひに

 

哄笑ののち目覚むれば胸のうちにタクラマカンの落日やどる

 

執拗にぬめらかに降る夏の雨ものわすれとはひとつの快楽(けらく)

 

晩蟬(おそぜみ)がかすかに鳴けりたましひは振り返りつつこの夏を逝く

 

往還の鈴がしやらんと鳴りそめて翡翠山河をたましひ翔くる

 

あかつきの上海ブルース転生ののちには剛きをとこに生まれよ

 

走りあめ背(せな)を叩きてずぶ濡れのチャルダッシュああおまへが恋しい

 

K2を踏みしメスナー雪豹の斑(はだら)に眩む碧眼あやふし

 

ハイセイコー死して謳へりまぼろしの馬頭観音ひつそりと建つ

 

哄笑はのち慟哭となるものか侘助に胸しめつけらるる

 

息を詰め花びらの風を受けとめるこの春を逝く万のたましひ

 

硝煙のにほひぞはつか ひるがへれジョン・レノンの死を告ぐる号外

 

砂原を真白き犬が駆け行けり おおこれは風が生まれる瞬間

 

しなやかな胡弓にのせて上海のをみな歌えばくらくらと月

 

ものなべて瞠く春の園庭になまなましけれ百葉箱は

 

上海のをとこの刺青(タトウー)うつくしく略奪愛なる一語思へり

 

斯くばかり命燃やして果てたきをとどのつまりの牡丹くれなゐ

 

ガネーシャの桃色みだら陽灼けせる男らの熱き吐息のやうな

 

たそがれはダリの憂鬱ひとひらのレモンをブラディー・マリーに落とす

 

狂へ狂へ ゴッホの杉が棒立ちに火の雫もてわれを縛れる

 

薔薇の棘抱きしめる甘やかさもて月下おまへを処刑せむとす

 

悲しみに鳴る弦なれば汝はまたさすらふものか痛みに耐へつつ