月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界
小中英之
『わがからんどりえ』
月の光が差せば、森のすすきやみみづくは薄光り、人間の煩雑なものごとの及ばない、ほほえみのみの世界となってゆく・・・。
昭和54年の『わがからんどりえ』から。
とにかく音韻のうつくしい歌。ためしに平仮名で表記してみよう。
つきさせばすすきみみづくうすひかりほほゑみのみとなりゆくせかい
言葉の韻きを愛おしんで、愛おしんで書かれた歌、の感を受ける。「みみづく」と「ほほゑみ」の四音ずつが呼応している。
昭和56年の『翼鏡』には、
鶏ねむる村の東西南北にぽあーんぽあーんと桃の花見ゆ
という著名な歌も収録されている。小中氏は若くから病に苦しみ、死と背中合わせの日常で作歌を続けたという。二首目については敢えて言及しないが、二首とも、どこかに人間の苦しみを離れて、動物や植物の美しい、安らぎに溢れた世界を作者が希求しているように思える。
やまい、あるいは肉親や親しい人の死など、つらい状況に陥った時、短歌はその悲しみ、辛さを受け止めてくれる言葉の器だと思う。私自身、父の闘病、そして死に直面したとき、泉から溢れるように短歌が溢れた。もちろん、十分な推敲をしなければ、
「悲しい、悲しい」だけで終わってしまうのだが。小中氏の歌は自己慰藉だけの歌では勿論ないが、短歌というものは昇華したとき、己を慰める不思議なひかりを放つことがあるのも事実だ。末筆になってしまったが、小中氏は私が以前所属していた結社『短歌人』の大先輩である。お名前は勿論存じ上げていて、どこか憧れに似た気持ちを抱いていた。だから訃報に触れて、私なりの驚きとショックを隠せなかった。残念であった。(綾乃)
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