お茶のひととき 11

 鳥や木は風生るるとき共鳴す理由などなき歌のはじめよ

 

                         三枝昂之

 

                      『暦学』~「季節の岸」

 

風はいつ、どこで生まれ、そして流れてくるのだろう。それは我々人間には、ほとんど分からない。しかし鳥や木は、その風の生まれる時を知っていて、風の発生とともにうたいだしている。「歌」が生まれる時というものもまた、因果や成因を必須とするのでなく、風と同じようにはじめの一音、二音(あるいは五音、七音)がおのずと生まれ、三十一音の形をとるのであろうか。

 

この三枝昂之氏の歌は、おこがましいかもしれないが、短歌を詠む我々、そして短歌を始める皆様にふさわしい歌だと思う。歌を詠んで久しい我々には道標として、歌を始められたばかりの方へはエールとして掲出したい歌だ。この三枝氏の短歌の「歌」は、音楽の「歌」ともとれるが、やはり「短歌」と捉えたい。歌が生まれるとき、理由などいらない。鳥や木が風に共鳴するように歌えばいいのだ・・・。なんとも清々しい一首だ。

 

桜草短歌会が始動したら、やってみたいことがある。吟行会だ。メンバーで(飛び入りの方、ゲストの方も大歓迎)外へ出て行き、その場でそれぞれ歌を詠む。それこそ理由など後回しにして、風に共鳴するように歌を詠む。後で会場へ帰り、それらの歌を互いに検証する・・・。とりあえず、春の小石川後楽園などいかがであろう。最後には軽く食事かお茶でも共にして、親睦を深める。是非やってみたいことのひとつだ。まだ桜草短歌会の詳細は未定なので、ひとつの案として、皆様こころに留めておいていただければ、と思う。(綾)