お茶のひととき 26

愛うすくなりつつ旅をつづけ来て支線分るる駅に別れき

 

                         高嶋健一

                    『甲南五人

 

恋人であろうか、愛がはかなくなりつつも、ともに旅をしてきたが、乗ってきた汽車が、どこか支線を分かつ駅に着き、自分は思う方向へとむかい、そして、恋人は背いてゆく別れとなった・・・。

このとき作者は27歳、愛に敏感な、繊細な感受性のひかる年代であろう。「別れ」を、「支線分るる駅」に収斂させていったところが、感傷に溺れず、淡々と描いていて目を瞠る。もちろんこれが実景か、作者のイメージによるものかの解釈は、読者の手に委ねられている。

 

もうひとつ、53歳のときの『草の快楽』という歌集の作品を引きたい。

 

草なかに隠れゆかむとするカーブ見えて静けし夏の日射しに

 

これは線路のカーブだろうか。だとすれば「草なかに隠れゆく」のだから、複線ではないだろう。単線でも、本線の大きなカーブの場合、隠れゆく先に遠い、はるかな空間を感じさせる。対してそれが「廃線」のカーブだとすれば、そこに感じられるのは「時間」である。イメージが多様にふくらむ「カーブ」であるが、いずれにせよ逸れてゆく「カーブ」というものに、離れて行く、別れて行く、同じはかなさを見る。詠われた年齢も異なるし、時代背景も違うから、同列に論ずることは本来おかしいのだが、私はここに同じ感性を見る思いがする。

そして、こちらの歌のほうが、静かな詠いぶりだけに、より深い、熟練した技が冴えているように思う。

 

さて、ブログ「お茶のひととき」を半年も休んでしまった。わたくし的な言い訳はここでは控えよう。おかげさまで添削希望の会員が20名を数えた。まことに有難いことである。この場を借りてお礼を申し上げたい。コンテンツの充実までなかなか時間がゆるさないが、それでも少しずつ、手がけて行きたいと思っている。皆様の支えあってこその『美し言の葉』である。これからも、お力添えをよろしくお願い申し上げたい。(綾乃)