お茶のひととき 23

夜のふけにプラモデル一機組み了へて我が生れし世紀の心音を聞く

 

                           小田原漂情

 

                     『奇魂・碧魂』

 

最初にお断りしておくと、これは夫・小田原漂情の作品である。身内の歌だが、昨今の世情を思いみるに、取り上げずにはいられなかった。ご了承いただきたい。

 

夜更けにプラモデルを一機作り終えて、作者の生まれた世紀、つまり二度の大戦を経験した20世紀の、あきらかな鼓動を聞く思いがする・・・。

 

妻だから知っていることだが、この「プラモデル」とは、太平洋戦争末期に使用された、五式戦闘機のものである。今も我が家にひっそりと置かれている。この一首を読んだだけでは、プラモデルが何の事かも分からないし、大戦のことを詠んだ歌とは、にわかには読みとれない。しかし、この小田原漂情第四歌集『奇魂・碧魂』は、「奇魂」が一首の独立性を探ったもの、そしてこの歌が収められている「碧魂」は、連作・群作の構成となっており、これは暗に戦争のことをテーマとした群作「昭和をおもふ」のなかの一首なのだ。

作者は、第三歌集『A・B・C・D』でも、過去の歴史の暗部と、真っ向から向き合っている。

なぜ、この歌を引いたかというと、まず、安倍政権のもとで安保法案が拙速かつ強引に可決され、時代が急速に、「歴史は繰り返す」方向に向かっていないかという、強い危惧の念を抱くからである。

もう一つ、その流れの上でのことだが、フェイスブックで嫌なものを見てしまったからである。それは、乗用車を零戦の色に塗り、車体に日本軍機の象徴、赤い日の丸をあしらったものが登場した、という記事であった。私は、それを見た途端、気持ちが悪くなった。また、そこに寄せられたコメントに、「カッコイイ」「乗りたい」などといったものが多く、日本人はここまでおかしくなってしまったのか、と暗澹とした。このコメントを書いた人は、特別攻撃隊の悲惨な最期、またそれに乗って飛ばざるを得ず、二度と帰ることはゆるされなかった方や、その家族や恋人が、どんなにつらい思いをされたか、考えたことはあるのだろうか。

小田原漂情の、「プラモデル」の歌に言及したのは、まず少年は、たぶん多くが戦闘機や戦艦などに憧れる時代があるということ、そして、長じてそこから何をくみ取るかが、人間として問われてくるのだということを、考えさせられるからである。大人になって、過去の歴史に深く想いをいたして頭を垂れるか、あっさり忘れてしまうか、はたまた軍事オタクになるか、に分かれてくるのではないか。

こういうことを短歌に詠むのは、実は非常に難しいと小田原は言う。しかし私は敢えてこれから挑戦する。私に与えられているのは、短歌という表現の器である。おそらくはライフワークになるかもしれない、気の遠くなるような、長い、じっくりとした取り組みになろう。挫折することもあるかもしれない。だが、やらねばならぬ。(綾乃)