お茶のひととき 22

一族がレンズに並ぶ墓石のかたわらに立つ母を囲みて

 

                             小高賢

 

                      『耳の伝説』

 

仏事のあった際のお墓のかたわらに立つ母、それを一族が囲んでいるところを作者がカメラのレンズを通してみている・・・。

最初は簡潔にこう解釈しておく。さて、初読後、実は二句で切れるのか、それとも「並ぶ墓石」と、三句以降につながっていくのか、ちょっと考えてしまい、何度も読み直した。しかし、「一族が」「母を囲」んでいるのだから、二句切れだとようやく気付いた。これは、私の「読むちから」がないからに他ならない。

仏事でお墓のかたわらに一族が集まるのは、ふつう納骨か、一周忌か、せいぜい三回忌ぐらいではないだろうか。「母」が焦点である。「母」にとって大切な人(おそらくは「父」であろうが)が亡くなり、レンズの中の「母」を一族の方々が慰めるように囲み、ご高齢なのかもしれない「母」を、およそお迎えは順番とはいえ、切ない思いでレンズ越しに見つめる小高賢氏の眼差しもが感じられるのだ。親を想う子の気持ちが溢れる一首だ。

 

私の父はすでに他界し、母は84歳になる。最近、母との「永の別れ」のことばかり気にしてしまう。そして、母と過ごすひととき、ひとときをかけがえなく大切に思う。気丈で元気な母だが、老いには勝てない。いずれは別れなければならない日が来る。そのときに後悔しないように、母と過ごす時を愛おしみ、大切にしていきたい。その日が来たら、きっとものすごく泣くだろうけれど。(綾乃)