お茶のひととき 16

 もの音は樹木の耳に蔵(しま)はれて月よみの谿をのぼるさかなよ

 

                                    前 登志夫

 

                                 『子午線の繭』

 

木立はひっそりとして静寂を生み出し、谿一帯が大きく包みこまれている。まるで樹木の耳に蔵われているようだ。月の差す谿を音もなく遡ってゆくさかなたちも、さらに静けさを際立たせており、樹木の生み出す深い静けさが、森羅万象を覆っているのだろう。前登志夫氏の志向した「魑魅(すだま)飛び交ふ森の時間」が、厳としてここに存在している。

 

「月よみ」は月の神、あるいは月の意。「つくよみ」とも読むが、ここは「つきよみ」と読みたい。月読、月夜見、月夜霊などの字があてられることもある。「月の差す谿」と解釈したが、「月の神のおわす谿」とした方が、「山霊をうたう歌人」と称された前氏らしいかもしれない。「樹木の耳」という表現が素晴しい。一首に静謐で神秘的なトーンが通っている。

 

短歌への先鞭をつけて下さった学習塾の恩師は、前登志夫氏と親交があった。私が塾を卒業した頃であったろうか、恩師から前氏の吉野詩抄『存在の秋』というサイン入りの本をいただいた。そして、去年私の第一歌集の出版記念会を仲間が開いてくれたとき、出席してくださった恩師は、やはり前氏の『鳥獣蟲魚』という歌集を下さった。自然の霊を吉野から歌い続けた前氏のスピリッツを、どれだけ理解できたかは分からないが、恩師に応えるためにも、いずれ「美し言の葉」短歌鑑賞の欄で、前登志夫氏の短歌に挑戦してみたい。

(綾乃)