お茶のひととき 14

 夢一字織り出しし喪の黒き帯しめてひとゆく秋の現(うつつ)を

 

                                    蒔田さくら子

 

                          『淋しき麒麟』~「夢一字」

 

帯に字が織り出されていることはよくある。お太鼓帯の背に「夢」一字が織り出されているのを作者は見た。そしてそれが喪の黒き帯であることも。「夢」の字を負って、人の死という、ある秋の現実に立ち会いにゆくひと・・・。そのひとは死が夢であればいいと思ってその帯を締めているのか。そしてそれを見ている作者も、その光景が夢か、現(うつつ)か曖昧模糊としているのではないか。あるいは、「夢」は実際に織り出されている文字ではなく、「喪」という、彼岸と此岸のはざま、夢と現(うつつ)が交錯する時点に対する内的イメージを、作者が巧みに表現したのかもしれない。

 

蒔田さくら子氏は長く『短歌人』の発行人を務めておられた。今は退かれたが、長きにわたるそのご努力には最大限の畏敬の念を覚える。私が『短歌人』に在籍させていただいた短い間に、二度夏季集会に出席した。泊りがけで、百人以上が集う、『短歌人』年に二度の全国大会である。初日、夕食が済み、催しごとが終わる。すると今は亡き『短歌人』のやはり発行人であった高瀬一誌氏と、蒔田氏が、深夜サロンといって、興奮さめやらず、まだ飲み足りない会員たちのために、お二方並んでバーテンダーのように、水割りやら焼酎やら、アルコール類をつくってくださるのが慣らいだった。いつもは厳しく、またあたたかい批評を下さるお二方に、その晩だけはお酒を供していただいて、われわれはそれぞれ、まさに深夜まで歌論やらよしなしごとやら、喧々諤々の議論を戦わせたのである。自由を重んじる『短歌人』の気風ならではのことであった。高瀬氏が亡くなられ、いま「深夜サロン」がどうなっているのか、退会した身となっては知る由もないが、それこそ「夢」のような夜だったと記憶している。(綾乃)