お茶のひととき 10

 サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなしサンチョ・パンサは降る花見上ぐ


                                      成瀬有

 

                                 「游べ、櫻の園へ」

 

上句「サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなし」い作者が、下句ではサンチョ・パンサに自らを投影しているのかもしれない。この不思議な主体の転換が、この歌の眼目であろう。

 

サンチョ・パンサは皆様もちろんご存じだろう。スペインの物語「ドン・キホーテ」の中の登場人物で、騎士道物語にのめり込むあまり現実と物語の区別がつかなくなり、遍歴の騎士として世の不正をただすつもりで旅に出るドン・キホーテの従者。ドン・キホーテの近所に住んでいた農夫なのだが、「将来島を手に入れたあかつきには統治を任せる」という約束に惹かれ、従者として旅に同行する。奇行を繰り返すドン・キホーテに何度も忠告をするが、大抵は聞き入れられず、ひどい災難に遭う。無学ではあるが機智に富んだ物言いをし、ことわざを引いたりする。

 

降る花を見上げるサンチョ・パンサは、主人たるドン・キホーテに意見をするも聞き入れられない。それは国家・政治に抗うけれどその意見がむなしくなってしまう、そんな姿にも取れる。主人についていかねばならない、けれど意見は聞き入れられず災難にあう・・・。何かの縮図ではないだろうか?それが成瀬有氏の憂慮にも思える。しかしそのような政治的なことよりはむしろ、主人のためにさんざん災難に遭う、孤軍奮闘のサンチョ・パンサが「降る花を見上」げるその抒情性の方により注目したい。

 

自分で歌を詠むとき、主体の転換まではなかなか思い及ばない。その点を含めテクニカルな歌だと思う。この歌もまた、既述の学習塾ではるか昔に教わった歌。当時の国語の授業のテキストは、現代短歌が15首あまり書かれたガリ版刷りの一枚の紙。毎回どんな歌かな、と楽しみだった。今でも塾長先生には言葉に尽くせないほどお世話になっており、昨年第一歌集を上梓したときはすべての労をお取りいただいた。感謝の念に堪えない。(綾)