お茶のひととき 9

 ひたぶるに人を恋ほしみし日の夕べ萩ひとむらに火を放ちゆく

 

                          岡野弘彦

 

                      『冬の家族』

 

「ひたぶるに」は「ただ一筋に、ひたすら」の意。「恋ほし」は「恋ひし」の古形で形容詞。「恋ほしむ」は終止形「恋ほし」に接尾語「む」が付いたもの。旺文社古語辞典(昭和四十年二月初版発行)には、接尾「‐む」(接尾下二型)が名詞や形容詞の語幹について動詞を作るとあるが、「親しむ」、「いとしむ」、「悲しむ」など、形容詞の終止形に「む」がついて動詞となっている語は多くあるので、「恋ほしむ」も同様に「恋ほし」「恋ひし」の動詞形と考えてよいだろう。「ひとむら」は草木が一か所に群生しているもの。「一叢」。


ひたすらに人を恋いしく想った日の夕べ、その気持ちは萩ひとむらに火を放つほど激しく燃ゆるものだ。


下句は作者の内的情景であろうが、静かな激情が美しい一首だ。また、「ひたぶるに」の「ひ」、「人」の「ひ」、「日」の「ひ」、「萩」の「は」、「ひとむら」の「ひ」、「火」の「ひ」、「放ち」の「は」と、ハ行の音韻の連なりが、独特の調べを生み出している。

 

岡野弘彦氏は神道の家に生まれ、神道の秘儀にも通じていたらしい。また折口信夫の家に居生し、その最期を看取ったという。歌会始めの召人を務めたほか、宮中にも繋がりが深い。

 

この一首も中学・高校時代に通った学習塾で教わった歌。思春期の身には、ひたすらに人を恋しく想い、萩ひとむらに火を放つ・・・という光景が、鮮やかにまなうらに拡がり、忘れられない愛唱歌となるほどの衝撃の歌であった。もちろん塾長先生の朗詠のちからも大である。中学・高校時代に鮮やかな現代短歌のエッセンスを、塾長先生の生のお声を通して身につけられたのは、大変に幸せなことだったと思う。(綾)