大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき
春日井建
『未青年』~「緑素粒」
大空が日輪を「斬首」するのか、大空自体が斬首されたのか、とむらいを思わせる日没後の空に残るむらさき・・・。
上句は下句を修飾する。それにしても「大空の斬首」とは、なんという非凡な比喩だろう。17歳ごろから作歌を始めた作者は、青年のなまなましい感性で、「断罪」を詠う。斬首ののちのむらさきいろの空の静もりが、作者の自身への断罪の象徴ともとれる。
短歌を「詠む」より「読む」ほうが難しい、とは、結社「短歌人」在籍中に添削をお願いしていた小池光氏が、誌上で述べておられた言葉のように記憶する。いま、ひしひしと「読む」ことのむずかしさを味わっている。「読む」ことによって「詠む」ちからが付くのだとも。このサイトを立ち上げたことで、「読む」機会が格段に多くなった。今までの勉強不足を恥じるとともに、一層の努力を、と気持ちを新たにした。(綾)
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