マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司
『祖国喪失』Ⅰ
作者(作中主体)は、デッキにいるのか、あるいは埠頭に佇んでいるのか、マッチを擦るひととき、海霧に包まれている。その深い霧のなかで自らの思いも霧に包まれているかのようだ・・・。この身を捨ててもいいと思うほどの祖国というものが私にはあるのだろうか・・・いやない。
言わずと知れた寺山修司の、もっとも人口に膾炙していると思われる名歌。「ありや」の「や」は反語。ニ物衝撃の手法がどすんと決まっている。
また、大好きで少女時代から諳んじてきた寺山氏の歌に、
村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ
『犬神』~「寺山セツの伝記」
がある。演劇界でもその才能をあますところなく発揮していた寺山氏の歌は、ある意味演劇的な仕掛けがほどこされている。あきらかにウソなのだが、ウソをウソでなくしてしまう寺山氏の歌人としての技量と手法が根強いファンを生みだしている。因みに、演劇にも没頭していた私は、寺山氏まだご健在の頃の、劇団「天井桟敷」の芝居を観たことがあるのがちょっぴり自慢である。(綾)
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