申(さる)のとしめぐり還りてわがためはめでたき年のはじまらむとす
窪田章一郎
『硝子戸の外』
干支の申年がめぐり、自身の身に還ってきて、つまり年男となり、自分にとってはめでたい一年が始まろうとしている・・・。
申年を迎えようとしている2015年の歳末を飾るのに是非取り上げさせていただきたい作品である。
窪田章一郎氏は、窪田空穂の長男で、早大短歌会員を中心に結社誌「まひる野」を創刊、主宰した。
この作品だが、「わがために」ではなく、「わがためは」としたところに、一見、何気ない風の歌の中の技巧を感じる。とくべつに「わがためは」なのである。我だけのためには。つまり、それだけ窪田氏にとって、この時期のみめぐりが、めでたいことを欲するものだったのではないだろうか。下句の「めでたき年のはじまらむとす」に、希望に満ちた一年を希求する窪田氏の視線が感じられる。
昭和四十年から四十六年の間の作品より、第六歌集『硝子戸の外』は編まれたが、この間の申年は昭和四十三年のこととなる。この年から四十八年目を迎える来年、申年2016年、どんな年になるのであろうか。やはり希望に満ちた年にしたいものだ。
私ごとだが、身近では、実兄と義母が申年となる。実兄は還暦を迎える。それはめでたいことだ。だが、特に義母は4月に84歳を迎える。「めでたき年のはじまらむとす」。義母にも、実兄にも、健やかな、めでたい年になってほしい。そして、世の中すべても、健やかな、ただしい一年になってほしい。(綾乃)
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